私、日野秀彦は現在、東京在住です。日本イエス・キリスト教団 札幌羊が丘教会の教会員です。教会で「背骨コンディショニング」という体操の指導や、礼拝に出席された方に対して背骨に軽い力を加えて整える背骨矯正の奉仕もしています。
この体操指導や背骨矯正のインストラクターを育成する「背骨コンディショニング協会」の代表を務めています。毎月、札幌・東京・関西・名古屋・九州で、また数か月ごとに秋田・長野・静岡・台湾・アメリカ等でも体操のレッスンと背骨矯正、インストラクター育成を行っています。2025年現在、全国で約900名のインストラクターがいます。『背骨コンディショニング』の本は20冊ほどを刊行し、累計50万部。どこに行っても良くならないという症状で苦しむ方、アスリート、メジャーリーガー、オリンピック金メダリスト等に背骨矯正・運動指導を行っています。
現在に至るまでには色々な困難がありましたが、振り返ると神様の愛と憐れみの導きがありました。母がクリスチャンで、生まれた時から教会に通い、13歳で洗礼を受けました。ただ当時は、なんとなく神様を信じ、なんとなく教会に行くという信仰の状態でした。やがて反抗期に入り、世の中に反抗するようになりました。ロックンロールのバンドを始め、バイクやアメ車を乗り回すチームを作り、日曜日はライブやツーリングが中心となり、教会から離れていきました。高校の頃は荒れていて喧嘩に明け暮れ、バイクで警官との追いかけっこの日々。その結果、家庭裁判所に何度も行く羽目になり、少年院には入らずに済みましたが、高校から20歳になるまで保護司が付きました。
その保護司の「世間のお役に立てるような仕事をしなさい」という言葉により、スポーツクラブでのアルバイトが始まりました。
この頃、バンドが少々有名になり、クールス(舘ひろしさんがいたバンド)の前座も務めました。ライブに来る取り巻きの影響で、バイク・アメ車のチームができ、時代はチーマーブーム。札幌市のチーマーの草分け的存在になりました(※チーマー:1990年代前半に流行。暴走族やヤクザではない“おしゃれなチンピラ”と呼ばれた)。そのうちチーム同士の抗争が始まり、巻き込まれていきました。働いていたスポーツクラブに脅しの電話が何度も来るようになり、車庫に置いてあった車のフロントガラスが2回割られ、チームのメンバーにも危害がおよびました。身の危険を感じ、身を守るために体を鍛え、同時に「トレーニング理論」「運動生理学」「解剖学」「栄養学」を一生懸命勉強しました。
それが上司の目に留まり、教育研修担当になって100名以上の新人を研修。実績を認められ、入社試験もないままそのスポーツクラブに就職しました。すぐに業界初の「フィットネス・ディレクター」チームに大抜擢。西洋・東洋の医師、運動生理学の東大名誉教授、有名なカイロプラクティックの権威者、アスリートを手がける鍼灸師などと連携し、体の不具合を運動で改善することを考えるチームでした。この経験が、後の背骨コンディショニングのプログラム作りに大いに役立ちました。
その後、会社でいくつか重要なプロジェクトを成功させるうちに、どんどん自信過剰になり、「自分の力なら大丈夫」という思いで会社を辞め、自分の会社を起こしました。トレーニング用品の輸入とインストラクターの派遣の会社です。これを機に、ご利益的にまた礼拝にも行くようになりましたが、信じる対象は神様ではなく「自分(オレ様)」。心の王座は自分で、自分の力を信じていたのです。やがて金を追いかけることが中心になり、また礼拝から遠のきました。神様はそういう私を見られ、すべての仕事の成功をストップされました。
そして運営資金が底をつきました。資金繰りのために高金利のローンを組んで借金。金利を払うためにまた借りるという自転車操業が始まりました。あらゆる策が行き詰まり、収入は途絶えました。その時から毎日、朝から晩まで数十社による借金の取り立てが始まりました。水道・電気など公共料金も払えず、事務所や家の物を売ってお金に換えました。来る日も来る日も朝から晩まで取り立て対応、夜中から朝まではアルバイトで食いつなぐ状態。それが数か月続き、疲労がたまり体に異常が起こり、アルバイトもできなくなりました。病院に行けないので何が悪いのかもわからない。そんな状態でも取り立ては続き、周りの友達には「ほら言った通り、やっていればよかったんだ」と責められ、友と思っていた人も去っていきました。これが辛かった。
力を振り絞って生活保護を受けようと国の機関に申請に行くと、係の人に「歩いてここに来られるのだから、帰って働きなさい」と言われ、追い返されました。国にまで見捨てられたかと思い、打ちひしがれました。全ての体力・気力を使い果たし、生きる気力もない。かといって、死ぬ気力もない。何もできない、身も心も“燃えさし”のような状態。最後は時間の感覚もわからず、それが2〜3日なのか10日間なのかもわからないほどでした。
苦しい時の神頼み的な祈りしかしていなかったのに、最後の最後に「こんなに苦しめる神などいらない」と暴言を吐きました。——その時、聖霊(神の霊)の語りかけがありました。幻聴ではなく、はっきりと心に直接語りかけられました。「そう言うのであれば、今までの神との関係はどうなのだ」。続いて、「神の言葉に耳を傾けているか。聖書を読んでいるか」。私は「いいえ、まともに通読したこともありません」としか答えられませんでした。「では読みなさい」。
語りかけはさらに続きました。「礼拝に出ているか」。礼拝に出るようになると、「喜んで神を礼拝しているか」。——一つできたら次へ、と手取り足取り導いてくださいました。やがて、今まで断片的に読んだり聞いたりしていた聖書の言葉が、生ける神の言葉として、どんどん直接心に入ってくるようになりました。
聖書にはこうあります。
「しかし、私たちがまだ罪人であった時、キリストが私たちのために死なれたことにより、神は私たちに対するご自身の愛を示されました。」(ローマ5:8)
また「天地創造の前に、神は私たちを愛して…」(エフェソ1:4 参照)。
この神様の言葉により、「自分は愛されている。神様に背を向けていた時でも一方的に愛してくださっていた。しかも人間の愛は限定的だが、神の愛は想像を超える愛で私を愛してくださっている。正しい者のためならまだしも、正しくない者のためにもイエス様は十字架にかかって死んでくださった」——そのことが本当に心から分かりました。
信仰的には復帰し、礼拝にも出るようになり、聖書も読むようになりました。しかし経済的にはまだ立ち直っていなかった頃のことです。神様からの試験なのか、今となってはなぜその時1万円が手元にあったのか分かりません。それは当時の生活費の全てでした。しばらく札を見たことがない状態で、それを眺めていると「もういいや」という気持ちになりました。投げやりではなく、こう示されたからです。
「何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかといって思い悩むな。…あなたがたの天の父は、これらのものが皆、必要であることをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものは皆、加えて与えられる。」(マタイ6:33)
——お金ではなく、まず神を求めよう。自分ではなく、心の中をイエス様に明け渡し、すべて委ねよう。そう心が定まった時、「愛されている。生かされている」ことが実感され、感謝を込めて、その1万円札を献金しました。知らずに、聖書に出てくる“やもめの献金”をしていたようです。「金持ちは有り余る中から入れたが、このやもめは生活費すべてを入れた。それをイエス様が見ておられた」とあります。天国に行ったらこのやもめに会って話したい。きっとやもめは「あれから経済的に祝福された」と言うでしょう。同じことをした私は、その時、その月から今日に至るまで経済的に困ったことが一度もないからです。具体的にやるべき仕事がはっきりと示され、その仕事を神様が一挙に祝福してくださいました。
さらに、「信じる者には次のようなしるしが伴う。…病人に手を置けば治る。」(マルコ16:17)という御言葉が与えられ、「聖書に書いてある通りやってみよう」と、腰の痛い方に手を置いて祈りました。すると、動かないと言われている仙骨(尾てい骨の上の骨)が動くのを感じました。腰の痛い方は「痛みがなくなった」と言うのです。こうして、手を置くと病や症状が「なくなった」と言う方が繰り返し現れました。不思議な体験でした。
そこで、いままで勉強してきた解剖学を当てはめて考えました。
――症状は「神経が牽引された側」で起こる。
――「不動」と言われている仙腸関節は可動である。
――症状が出ている所だけでなく「代償姿勢」を直さないと、症状の出ている所は治らない。
この3つの気づきから、今の背骨コンディショニングの理論が確立しました。現在行っている基本動作は、数日で出来上がりました。
やがて、手を置いて骨が動くことを実感されると、気味悪がられることも出てきました。そこで、少し力を加えて背骨を整える矯正法が導かれ、経験を積めば仙骨や椎骨を動かせることが分かり、現在行っている「背骨コンディショニング」が誕生しました。
「人にしてもらいたい事は人にしなさい」(ルカ6:31)。聖書の黄金律が示され、金ではなく、まず相手の痛みや辛い症状に対して「どうしたら良いのか」にフォーカスするようになった時から、この仕事で経済的にも支えられるようになりました。経済的な祝福も感謝です。お金がない恐怖やつらさを体験しました。しかし、振り返ると本当に一番苦しかったこと、そして分かったことは——自分は神様に背を向けているのに、「神様に無視されているのではないか?」「神様から愛されていないのではないか?」という疑いでした。太陽に背を向ければ目の前は影=闇。神に背を向ければ闇=破滅に向かうだけです。本当は、神様の一方的な愛に向き直り、その愛を受けるだけでよかった。愛で満たされないために、心にぽっかり穴が開いていること(=魂の渇き)に気づかず、その穴を埋めるためにバンドや車に走っていました。楽しいが、心は満たされない。この大きな穴を満たすのは、神様の一方的な愛を受け入れる以外にないことが分かりました。そして、このプログラムを必要としている多くの方に広めることが、神様からの使命として示されました。
「神を愛する者たち、すなわちご計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働く」(ローマ8:28)。これは事実です。人の目には問題と思えることでも、バンド → チーマー → フィットネストレーナー → 背骨を直す人へと、主は用いて変えてくださいました。
日野式の背骨矯正では、ヘルニア・脊柱管狭窄症・股関節、この3つだけでも、手術回避による医療費が年間約9億6千万円になります。今、背骨コンディショニング協会では、私の技術の3分の1ほどの水準を持つインストラクターを3,000人育成することを目標にしています。これは日本の医療費を1兆円削減する目標です。私は政治家ではありませんが、医療費は削減できます。富が必要なところに流れていけば良いと思っています。背骨コンディショニングを行う意義・使命はそこにあります。
私は知らなかったのですが、この試練の時にも、私のために教会で祈ってくださっていました。家族の祈りにも支えられていました。その陰の祈りに答え、神様の深い憐れみが働いたのだと思います。皆様の祈りに応えてくださった神様に感謝します。
私のように辛い体験をしなくても、単純に神様の一方的な愛を受ければ良いのです。そうすれば、魂の渇きは癒され、罪は赦され、死から永遠のいのちへと変えてくださいます。
どうか、「自分の罪のために十字架で身代わりとなってくださり、そこまで愛してくださってありがとう」と祈り、イエス様を心にお迎えしてみてください。